代表師範挨拶 個人編

自分が生きている最後の瞬間まで、

自分はどのように生きようとしていたか。

久島俊樹

はじめまして。
神衛代表師範の久島俊樹(Kushima,Toshiki)です。

ここは養神館合気道「神衛」という団体の公式WEBサイトですので、こちらのページも公式という事に準じなければいけませんが、極力個人的な話をしたいと思います。

成長の証とは

私の30代前半までの人間性は、今思い出しても非常に恥ずかしいものです。

過去を思い出すと恥ずかしくて、いてもたってもいられない事が色々とあります。過去の自分を恥ずかしいと思えるのは、自分が成長した証だと言えるでしょう。しかし、私には今も少し前の事でも恥ずかしいと思う事があったりします。このホームページに書いた内容を読み返しても、そんな思いをしています。

一例ですが。
中学生や高校生の頃、学校の教室で出入口のところに他のクラスの友人が私を訪ねてきて、それを同級生の女の子が
「久島くーん、〇〇君が呼んでいるよ~。」
と私に教えてくれた事があります。その時に私は、友人の方に気を取られて、
「うん。」
と返事まではしたのですが、訪ねてきた友人に気を取られてしまい、その女の子に
「どうもありがとう。」
とお礼を言っていませんでした。そんな事が中学生や高校生の頃に何回もあります。今になって思い出して、お礼を言わなかった自分の事が恥ずかしくて情けなくて仕方ありません。

だから、武道の稽古を通して自身が成長出来る道場となるよう稽古のあり方を考えています。

強さへの飽くなき挑戦

人生は飛行機だと私は思っています。そして私は自分の人生のパイロットです。私の乗機は、つぎはぎだらけのオンボロ飛行機です。エンジンから火を噴き、翼の一部が欠けていき、今にも墜落しそうになっています。

私の父は航空自衛隊に勤務する自衛官でした。私が幼いころに父は他界していますが、その父は生前
「自衛隊のパイロットは住宅地では飛行機が壊れても脱出しないんだよ。住宅地に住んでいる人に飛行機がぶつかったらいけないから、人がいないところまで飛行機を飛ばすんだ。例え自分が死んでも。」
と言っていました。

そして後年、本当にそうした自衛隊機の事故が起きました。二名のパイロットは故障して飛行困難になった飛行機をどうにか河川敷まで飛行させ、自分達は脱出せずに河川敷の人がいないところに飛行機を落とし殉職されました。

私は人生を何度も諦めそうになりましたが、自分の人生を墜落させないように必死に操縦しています。

合気道の武道としての存在意義は、格闘に強くなれること

強さの意味は色々とありますが、まずは格闘としての強さは第一として考えます。合気道は型稽古なので、格闘戦に対応出来るかどうかは個人の能力に委ねられます。殴り合いの喧嘩の経験もないような人には、合気道の型稽古だけで実際の戦いに対応する能力は身に付かないと私は思います。

実際に自分の道場で実験はしていますが、結果は、その通りだとしか言いようがありませんでした。だから、神衛では戦技研という実戦対応の訓練を行っています。

心臓が止まっても、気力で最後までやり遂げる

幼少の頃、「ブラックジャック」という手塚治虫の漫画を読んだとき、心臓が停止してから10分間も手術を続け、手術を終えた直後にその場に倒れた外科医の話に出会いました。
「つまり死んでも気力だけでオペをやり終えたということかね」
と手術に立ち会った医師がブラックジャックに告げます。

フィクションの話ではありますが、幼少期に受けた感銘は今も持ち続けています。
「自分が生きている最後の瞬間まで、自分はどのように生きようとしていたか。(久島俊樹)」
これが私の人生のテーマであり、そうした生き様を体現出来るように精神性を磨き、精神力を鍛える稽古を考えています。

そうする事でしか、心臓が止まっても、気力で最後までやり遂げられる人間にはなれないと思っています。

精神が強くなる稽古を意識すること

精神を強くする取り組みは大切です。意地を張る、意固地になる、というのは、精神が強いのではなく、負の方向に強い、ということです。それはつまり、精神が弱い、と言っていいものです。

自分に気に入らない事があると暴力を振るいたい、だから格闘戦に強くなりたい、という思考をする人はいるでしょう。そういう人間が振るう暴力に敢然と立ち向かう勇気を養うだけでなく、明るさ、優しさ、前向きさ、ひたむきさ、などプラスの精神性が簡単に挫けなくなるような精神的強さを稽古で養える道場としていきたいです。それが「神衛」という名前の由来になってもいます。

武道の道場のあり方について私が考える事

私が考える武道の道場とは、都会のビル群の、ビルの上部の構造物に少しだけ開けた空間があって、そこに草木が生え水たまりがあって鳥が遊びに来る、そんな鳥達の秘密のオアシスのようなものであるべき、と考えています。

「え?こんな場所に、こんなところがあったの?」
と驚きと嬉しさが一緒に心に沸き起こるような場所です。そして、学ぶ人にとって、
「いつまでも、そこにあって欲しい。」
と思って貰えるような場所でありたいです。

嫌な事があって心が傷付いた人が、何かに向かって立ち向かえるような気持になれる場所、でなければいけないと思っています。

体が弱い人、運動神経の発達が不十分は人、運動が苦手な人、気持ち的に後ろ向きになりそうだから、どうにかしたいという人、武道に興味はあるけど、自分は武道には向いていない、道場では受け入れて貰えない、という心配をされている人、年齢も若いとは言えないけど、ずっと武道をやってみたかったけど心配な人、など、他にも色々な方がいらっしゃると思います。

こういう心配をされている人達こそ、この道場はお待ちしているのです。それが武道の道場のあり方だと思っています。

萎縮したら武道を学ぶ意味がない

先輩後輩という人間関係は、良い面だけであればいいのですが、そうとも限りません。人間関係で萎縮するような事があっては、武道修行の本末転倒になりかねません。しかし、増長したりする人や他人を見下すような人が集まってきても困ります。この道場にご入会される方には、良い道場にする為に、そうした面でのご協力をお願いしています。

身体が弱い人、運動が苦手な人、ほど道場に来て欲しいと思っている(敷居は高くない)

自分の弱さをどうにかしたい、という人を私は待っています。
運動神経が鈍いから無理かも?⇒いいえ、歓迎です。
体力がないから無理かも?⇒いいえ、歓迎です。
覚えが悪いから無理かも?⇒いいえ、歓迎です。
性格が悪いから無理かも?⇒いいえ、歓迎です。本当に性格が悪い人は、自分の性格を悪いとは思いませんから、むしろご立派です。

ただ、運動が苦手な人が合気道を身に付けていくには、運動が得意な人より多くの時間がかかります。運動が得意な人の何倍も基本動作を繰り返す必要があるので、簡単に諦めないようにして下さい。

自分が上手くならないのに、後から入会した人が上手くなっていくのを見る事になるかもしれません。そんな時こそ、精神を強くする好機です。努力を続ければ必ず結果はついてきます。

自分の美学や人生哲学をつくっていく それが武道というもの

自分の生き方、というものに拘りを持ちます。自分の生き方とは、つまり、美学を持って生きているか、人生哲学を追求しているか、そしてそれを実践しているか、という生き方です。

私は「最低な部分こそ、その人の真の姿」として人を見ています。DVする男が暴力を振るった後に優しくなる、だから、その人は本当は優しい、という人がいます。違います。そいつは暴力を振るってストレス解消ですっきりしただけの話です。DV男の本質は、自分より弱いと分かり切った相手だけに暴力を振るうという最低の部分のみが評価の基準です。

そのように人を考え、そして自分自身の最低な部分を改善しようとする思考は、私の人生哲学の一例です。

武道や合気道の「道」とは何ぞや

武道や合気道の「道」とは何であるか。それは、成長の過程、だと考えています。

つまり、自分が人間的に成長をしていないような取り組みをしていれば、それは合気道ではなく、合気道みたいなもの、という事です。

それは「合気道」なのか、それとも「合気道みたいなもの」なのか、は学ぶ人の取り組み方次第であり、また指導者がどうであるかも問われるところです。

そして。

武道、合気道の「道」が成長の過程であるなら。

私達の前に「道」は用意されていません。自分で考え、自分が苦労して、失敗をしながら道をつくっていくのです。

だから、合気道の道は人それぞれです。

皆様も合気道に取り組む事で、ご自身の道を切り開いて頂けたらと思っています。

【駄文】

「夜明けの合氣道」は2000年代のはじめ頃に書いた駄文です。この時に、これを読んでくれた方から連絡があり、このまま残した方がいい、と言われましたので、とりあえず残しておきます。私の黒歴史です。