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養神館合気道は登山と同じと考える

神衛代表師範の久島俊樹(くしまとしき)です。

合気道には級と段があります。また、指導者については称号もあります。

級と段(そして称号)というのは、登山でいうところの標高、富士山だと何合目というものです。

2026年1月における神衛の白帯の皆さんの半数は、級や段は私の按配で難度が低くも高くもなると思っているようです。

「俺はこれだけ頑張ったから、先生は審査の点数をおまけしてくれるだろう。」
と考えてる人が、白帯の半数はいるだろうと確信しました。

審査の基準を私の按配で低くしたり高くしたりする事はありません。

養神館合気道の審査基準は、山の標高と同じです。

2010年4月神奈川県金時山にて

審査基準を低くする事は、つまりは、登山する山を人工的に登りやすい姿に変えてしまう事と同じなるか、または殆どの行程を乗り物を使って移動するのと同じになってしまうでしょう。

山頂の風景を見て楽しみたいだけ、という人には、それはそれで意味がある事です。

しかし、それが登山の魅力なのか、というと、そうではないと思います。

登山の魅力はやはり、自分の力でそこに到達したという達成感、そして積み重なる登山の経験値、一生の財産となる思い出、ではないでしょうか。

養神館合気道もまさに登山と同じです。

審査に合格するだけの実力をつける為に色々と頑張った事が、自分にとっての今後生きていく上でのかけがえのない財産になるのです。

そして、ここまで言って何ですが。

前述した神衛の白帯の半数の中には、登山愛好者が何人かいます。

その人達に、こんな話をしたのですが、馬耳東風でした。

「ほーん。」
とか言ってます。