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他人に不快な思いをさせられることは、生きている限り誰もが経験をすることである。
そして相手を憎んだり怨んだりすることは、努力をせずとも自然のうちに誰もが感じる感情であろう。
頭にくる出来事、腹が立った相手、そんな記憶を呼び覚ますのは、難儀なことではない。
人にもよるだろうが、そのような記憶を普通の人よりも多く持つ人は、恐らく自分を不幸と思うであろう。
他人には理解して貰えない、また理解して貰いたくもない腹立だしい記憶が、人を幸せにするはずがない。
私も多くの嫌な思い出がある。思い出す機会があるたびに、自分の人の縁の薄さを呪ったものである。
しかし、ある事がきっかけで、今は考えが改まった。
私は不幸でもなく、そして人の縁に恵まれていないなどという事はない。それは絶対だ、と言い切れるようになった。
長崎の対馬に住む従姉が、平成17年2月半ばに交通事故で亡くなった。
大腸がん、乳がんを彼女は克服した。
腸閉塞の痛みを「精神的な問題」と田舎のヤブ医者に誤診され、危うく死にそうになったこともある。
腎臓病をかかえて人工透析を繰り返し、歯は抜け落ち、髪は薄くなり、白かった肌は薄黒くなった。
「今度は駄目か」という大病から何度も復帰をした彼女であったが、今回は本当にあっけなかった。
歩道を歩いていたら、携帯メールに夢中になっていた女性が運転する車にノーブレーキで突っ込まれて、10メートル以上も跳ね飛ばされて全身がズタズタになって即死した。
車を運転していた加害者の女性は、驚いたことに従姉の小学校の時の同級生であった。
葬儀の間、私は彼女との思い出についてずっと考えていた。
長男であった私にとって、年上の彼女は本当のお姉さんのような存在であり、また末っ子であった彼女は、私のことを本当に弟として可愛がってくれた。
私にとっては「恩」を受けるばかりの私達の関係を思い出しながら、そして生きることの意味をぼんやりと考えていた。
私が現在こうして生きているのは、誰かにお世話になってきたからである。
決して自分だけの力だけで生きている訳ではない。
それなのに自分が感謝するべきことや、知らず受けている恩など、実は自分が気付いていないこと、そして気付こうとしていない事が、あまりにも多過ぎるのではなかろうかという思いに至った。
例えばである。
生まれたばかりの私を、病院から家に連れて帰るとき、私の両親はどれだけの注意を払って赤子の私を抱きかかえてくれたのだろう。
生まれたばかりで何も出来ない赤子の私を、両親はどれだけ大切に育ててくれたのだろう。
オムツを替えて、乳を飲ませ、機嫌をとって、玩具を買い与え、服を着せ替えて、それだけでも大変な苦労をしてくれただろう。
それは決して当たり前のことではない。
もし自分の両親ではなく、他の人が赤子の私の面倒を見てくれていたのなら、私はどういう扱いを受けたか分からない。
しかし私は普段、親から受けたその恩を全く忘れていた。
私は自分の親を憎んだこともあり、実際に母親を罵倒したこともある。
私は命の恩人である親に対して、何ということをしてきたのだろう。
考えれば簡単に分かることなのに、そういう事を考えようともしていないから、親という恩人に対してそういう振る舞いが出来たのである。
恩を受けたのは、当然自分の親からだけではない。
私は多くの人にお世話になってきた。それも私が直接知らないところにおいても、私の事を心配してくれたり、陰で尽力をしてくれた人がいるのは間違いないはずである。
それは神様仏様とか運などという言葉で曖昧にすることではない。一つ一つを考え理解しようとすることが、人としての成長として大切なことなのだ。
しかし、やはりどこかに驕りがあった。
気付いていなかったこと、学んでいなかったことが多いことにようやく気付いた。
憎むより、怨むより、まず先にやらなければいけない事がある。
お世話になった人に恩を返し、大切にしなければいけない人を大切にする、という事である。それをしようともせず何が「強くなる」だろうか。
正しく人生を生きようとする限り、つまらない事に囚われている暇はない、という事である。
従姉の葬儀の前までは、自分の人生が順調に進んでいないと確信していた。人の縁にも恵まれているとは思っていなかった。
こんな不幸な出来事に直面しないと、私は何も分からないほどの愚か者なのかと苦痛を感じている。
しかし、長崎の対馬という片田舎で人生を終えた従姉から頂いた優しさは、遠く離れた千葉道場で生きていくでしょう。
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