指導担当の久島です。
どのように生きるか、という事が、私が今まで生きてきて、ずっと考え続けてきた事だったと思います。
生きる、という事に対して、命を自ら絶つ人がいます。そうした人は、恐らく鬱病という病に侵されているのだと思います。つらくてきつくて寂しくて大変だったのだろう、と気の毒に思うばかりです。
死にたい、と思う人ほど、この社会には必要な人だと私は考えています。そういう人は、恐らく色々な事を自分の責任に感じてしまい、自分が悪いと自分を責める人だと思うからです。つまり責任が度を過ぎるほどに強い人なのでしょう。責任感が強い人は、この社会には大変必要とされる存在です。そんな人に死んで欲しくありません。
つらいけど、その辛さに耐えて生きる。死にたくなるような気持になるけど、やはり死にたくないから生きる。
そうして生きている人がいると知れば、その人が生きている事を励みに自分も生きていける。
私は、そう考える人間です。
繰り返しになりますが、死にたいと思いながらも頑張って生きている人がいる事は、その人の存在そのものが、私の生きる力になってくれています。そして、その人が、死にたい、という状況を脱してくれ、幸せな人生を送れるようになってくれたら、それは私の喜びです。
私は、死にたいと思う事はないです。そんな私が、死にたいという気持ちに抗いながら頑張って生きている人達に出来る事、それは何か。
それは、上手に賢く要領よく世の中を渡って生きているような人から見たら、嘲笑されるほどに愚直に誠実に生きる事です。
「あんなに誠実に頑張って生きているのに、嘲笑をされ、馬鹿にされ、見下されている人がいる、さぞ辛いだろうに。あの人だったら、自分の辛さを分かってくれるかもしれない。あの人が生きているから、自分も生きていられる。」
そんな風に思って貰えるような生き方をする人間でありたいです。
自分の生き方が、今苦しみ辛い思いでいる人の生きる力になれるように、私は生きたいです。それが私の生き方なんだと思っています。
まー、甘っちょろいし、口ばかりカッコいい事を言っていますよね。