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漫画の格闘技は妄想だから

指導担当の久島です。

先日、「三日月のドラゴン」という高校生が空手を始めるストーリーの漫画の1巻を少し読みました。よせばいいのに。

思えば私も高校1年生の時に空手道場に入門しました。当時はまだグレーシー柔術がUFC大会を開く前の頃であり、空手が世界最強の格闘技だ!と空手団体の主催者が臆面も見せず声高に主張していた時代でした。主人公が高校1年生という設定なので、自分の事と照らし合わせて読んでみたいと思い、期待して作品のページをめくっていきました。

ちなみに、世界最強の格闘技、というものは決められません。人の素質と経験、そして格闘技の性質、戦いの状況、というものが複雑に絡み合い、どちらが勝っても、その格闘技の強さに結びつく明確な根拠にならないからです。

(逆にダメな自称格闘技、自称護身術、自称武道はあります。そして合気道は、団体で大きな違いがあります)

「三日月のドラゴン」ですが。自分が高校生の頃なら面白く読めていたでしょう。しかし今の私には読み進めていくうちに違和感ばかりが心を占めていきました。

漫画なので目くじらを立ててはいけないのは分かっています。だけど、自分の友達が不良に絡まれている現場に通りかかったのに、携帯電話で110番通報をしていない、とか、自身も巻き込まれ友人ともども不良に暴行を受け、大きな怪我を負っているのに警察に通報しない、とか、警察がない無法地帯が舞台の漫画なのか?と疑ったくらい変な世界観の漫画でした。

その事件で受けた怪我の事について警察に被害届を出さないで、空手道場に入門してしまう主人公です。(被害届を出さないのはダメですが、空手を始めるきっかけとして良いでしょう)

それでも我慢して1巻を読み進めていくと、女の子がカメラ持った男に追いかけられていて、その子を助ける為に、空手を始めたばかりの主人公は、その男と戦います。そこまではいいです。しかし、その男を殴ってめでたし、になっていました。犯人を捕まえる、というのではなく、犯人と喧嘩をして勝つ、という感じになっています。110番通報しないとダメですね。

世の中の仕組みを知っている大人を対象とした漫画ならいいと思います。しかし、中学生や高校生くらいの青少年が、この漫画の悪い影響を受けないか心配になります。

あと、胸倉を掴んできた相手を投げ飛ばす、という合気道っぽい技?が作中にて、空手道場での指導のシーンとして出てきています。だから何?という話ですが、何だこれ?と思いましたよ。

ここまで書いていて、ふと思いました。空手の漫画はこれでいいのではないか?いや、空手をやっている人にとっては、これでいいのではないか?と。

名作(迷作?)「空手バカ一代」からの系譜と考えれば、相手を空手の技でボコボコに殴り、その爽快感に浸り自己満足する事こそ空手漫画の存在意義なのかもしれません。現実世界では許されないからこそ、漫画内の世界では空手で相手をボコボコにしてヒーローになるストーリーが、空手の漫画に求められているように思えてなりません。それこそが空手漫画の真骨頂なのでしょうか。

という考えに至りました。

昔、漫画喫茶で「会津おとこ賦(あいづおとこうた)」という漫画を読んだ時の事です。福島県の不良の高校生が、他所の不良高校生と喧嘩をして大暴れをしたのだけど、街を守る為に勇敢に戦った、という事で英雄として新聞に紹介されているシーンを見て腰を抜かした事がありました。

他所の高校生が、その街を侵略しにきたのですかね?不良高校生が街を侵略しに来た?それを別の不良高校生が迎撃?迎撃する側も不良であるのは何故?警察が対応する事案のはずですが、もう私には理解不能です。

凄まじい世界観ですが、漫画とは、そういう世界観にこそ価値があるのだと気付きました。つまり、気付かぬうちに私の頭は固くなっていたのです。頭蓋骨が固くなったのではなく、柔軟な思考が出来なくなっていました。

「三日月のドラゴン」を悪く言ってしまいましたが、自分の頭が固くなっている事を気付かせてくれて感謝します。機会があったら皆様も読まれてみてはいかがしょうか。