神衛代表
指導責任者
久島 俊樹
Kushima,Toshiki
はじめまして。ここは養神館合気道「神衛」という団体の公式WEBサイトですので、こちらのページも公式という事に準じなければいけませんが、極力個人的な話をしたいと思います。
武道の道場のあり方について私が考える事
私が考える武道の道場とは、都会のビル群の、ビルの上部の構造物に少しだけ開けた空間があって、そこに草木が生え水たまりがあって鳥が遊びに来る、そんな鳥達の秘密のオアシスのようなものであるべき、と考えています。
「え?こんな場所に、こんなところがあったの?」
と驚きと嬉しさが一緒に心に沸き起こるような場所です。そして、学ぶ人にとって、
「いつまでも、そこにあって欲しい。」
と思って貰えるような場所でありたいです。
嫌な事があって心が傷付いた人が、何かに向かって立ち向かえるような気持になれる場所、でなければいけないと思っています。
体が弱い人、運動神経の発達が不十分は人、運動が苦手な人、気持ち的に後ろ向きになりそうだから、どうにかしたいという人、武道に興味はあるけど、自分は武道には向いていない、道場では受け入れて貰えない、という心配をされている人、年齢も若いとは言えないけど、ずっと武道をやってみたかったけど心配な人、など、他にも色々な方がいらっしゃると思います。
こういう心配をされている人達こそ、この道場はお待ちしているのです。それが武道の道場のあり方だと思っています。
自分の美学や人生哲学をつくっていく それが武道というもの(と考える私)
自分の生き方、というものに拘りを持ちます。自分の生き方とは、つまり、美学を持って生きているか、人生哲学を追求しているか、そしてそれを実践しているか、という事が問われる生き方です。
私は「最低な部分こそ、その人の真の姿」として人を見ています。DVする男が暴力を振るった後に優しくなる、だから、その人は本当は優しい、という人がいます。違います。そいつは暴力を振るってストレス解消ですっきりしただけの話です。DV男の本質は、自分より弱いと分かり切った相手だけに暴力を振るうという最低の部分のみが評価の基準です。
そのように人を考え、そして自分自身の最低な部分を改善しようとする思考は、私の人生哲学の一例です。美学については、ここでは言えません。
年齢が若い時代は失敗ばかりの人生でしたよ
過去を思い出すと恥ずかしくて、いてもたってもいられない事が色々とありますよ。過去の自分を恥ずかしいと思えるのは、自分が成長した証なのでしょうけど、今も少し前の事でも恥ずかしいと思う事があったりします。このホームページに書いた内容を読み返しても、そんな思いをしています。
こんな私なのですが、良かったら一緒に稽古をしていきましょう。
【駄文】
「夜明けの合氣道」は2000年代のはじめ頃に書いた駄文です。この時に、これを読んでくれた方から連絡があり、このまま残した方がいい、と言われましたので、とりあえず残しておきます。黒歴史です。