指導担当の久島です。
自分が合気道をやっていて良かった、というのは色々あります。合気道でなければ絶対に身に付ける事が出来ないものがあって、これを書きながらも、それらが次々に頭に浮かんできます。
「合気道はインチキ」と散々言われてきた私なのですが、そもそも私も合気道をはじめる前には、合気道をインチキだと思っていました。そして合気道を始めてみると、合気道自体は決してインチキではないのですが、合気道がインチキと言われても仕方ないような取り組みをしているインチキな人を、沢山見てきました。
だから、インチキでない合気道を私は目指しました。
受験勉強の世界では偏差値という言葉があります。それを格闘能力に当てて、格闘偏差値というものを仮定します。
格闘偏差値35くらいの人から見たら、格闘偏差値45の人は相対的に強い人に見えてしまいます。そして型稽古の合気道だと、格闘偏差値が45くらいでも問題なく合気道の指導者になれます。
格闘偏差値35くらいの合気道初心者が、格闘偏差値45くらいの合気道の指導者に技をかけれらたら、どうなるでしょう?格闘偏差値45くらいであっても、格闘偏差値35の人から見たら、その人は「合気道の達人」に見えてしまうでしょう。
そういう現象があるのです。それ自体は、本人達の心の中で完結していれば全く問題はありません。
格闘偏差値35の人の自己評価が異常に高く(格闘偏差値60台後半と思い込んでいる等)、自己愛も強く、自己主張も激しい人がいたとします。そして、格闘偏差値45の合気道指導者も似たような性質である場合、この両者の心の中には凄まじい世界が構築されてしまいます。
格闘偏差値35
「おお!凄い!この(自己評価で)格闘偏差値67の自分が驚くのだから、あなた様は天才です!」
格闘偏差値45
「いやいや、私は大した事がないけど(もしかしたら、やっぱり自分は天才なのかな?)。」
というやり取りがある事は想像できます。
今、YouTubeのような動画サイトで見ると、そんな世界を感じさせる動画が溢れています。あの人達は、あのような合気道をやっている、というだけであり、あのような動画をご覧になられて、
「合気道はこれなのか。」
と納得はされないで下さい。
私はそういう世界を見てきました。
そうした世界に迷い込み、自分を見失う事にならないように、真実を追求する姿勢が大切だと思いました。
そこで、客観的な格闘偏差値を把握し、そこで今後の自分が目指す方向を考える事が出来るように、私は戦技研というシステムをつくりました。
戦技研は客観的な格闘偏差値の把握が出来て、どんなに格闘偏差値が低くても、目指す格闘偏差値のレベルに到達出来る訓練方法を提示し、訓練を提供するシステムです。
これは、合気道における真実を追求する姿勢のあらわれだと思っています。
真実を追求する、という事は、自分の真の姿を知る事になります。それは、やはり怖いかもしれません。だから、あまりカリカリしなくてもいいと思います。
ストイックになる必要はなく、
「合気道は真実を追求する武道なんだなぁー。稽古を続けていけば、何か分かる事があるのかなぁ。」
という感じでいて頂ければ十分です。
誤魔化して、隠して、騙すような人生ではなく、自分の問題点を認め、少しでも前に向かって進めるような人生にしたいものです。